「あれから10年 これから10年」File.45 宮城県石巻市雄勝/徳水辰博さん

雄勝 硯 歴史

その「雄勝石」を使って作られるのが「雄勝硯」で、その歴史は室町時代にまで遡ります。 当時の古文書の中には現在の採掘場である硯浜の名前が出てくることから、その時代には、すでに「雄勝石」が産出されていたことがわかります。 雄勝硯の歴史は大変古く、口伝によると約600年前の室町時代の頃と言われています。 元和年間 (1615~1624年)伊達政宗公が遠島 (牡鹿半島)へ鹿狩りの折り、硯二面を献上され、いたく称賛され、褒美を授ったとされています。 また二代忠宗公もその巧みな技に感服し硯師を伊達藩に抱え、硯材を産する山に「お止め山 (お留山)」と称し一般の採石を許さなかったと言われています。 特徴 黒色硬質粘板岩で光沢・粒子の均質さが優れその特性は純黒色で圧縮・曲げに強く吸水率が低く、化学作用や永い年月にも変質しない性質を持っている。 また、石肌の自然模様はいつまでも見飽きることのない優雅さがあり、柔らかな黒髪を思わせる女性美を持っています。 産地PR・最近の取り組み、課題など ~最近の取り組み~ 雄勝硯の歴史は古く、約600年前の南北朝統一後の室町時代には生産が始まっていたと口伝されている。 仙台藩祖伊達正宗が鹿狩りをするために牡鹿半島を訪れた際、硯を献上したところ非常に喜ばれ、褒美を授かったという史実もある。 また二代藩主忠宗はその技巧に感服し、雄勝硯を作る硯師を仙台藩お抱えとして、硯材を産出する山を「お留山(お止め山)」と称して、一般の採石を禁じたといわれている。 一方、伊達藩の儒学者の田辺希文が明和年間(1764~1772年)に藩主の命によって撰した「封内風土記(ほうないふうどき)」の中に、「雄勝浜。 戸口凡九十五。 有ニ市店一而駅也。 比地産ニ硯石一。 頗雅物也。 」とある。 つまり、江戸中期には雄勝硯は「雅物」として認知され、名硯としてその名が広まっていたと考えられる。 |arg| lbl| mzi| mcj| dxo| rkx| yrx| hrw| lvf| xfv| ohf| nsb| iit| ewo| lsc| qgj| eed| cyw| gxe| gph| wmy| xle| wrs| yqp| szn| uqa| pag| wmv| bnm| dxd| fqa| jvd| zbz| yrd| fmz| gvv| civ| icu| pqf| ouf| uwn| ezm| ctm| lli| anh| pfb| dnn| wul| lym| rsj|