【日本史】 原始・古代40 平安時代4 (15分)

平 忠常 の 乱

平忠常の乱は一般的には長元元年(一〇二八)に、平忠常が安房国の国守平維忠を焼き殺したことが始まりとされています。 しかし鈴木哲雄氏「平将門と東国武士団」によると、長和五年(一〇一六)以前に、源頼信と平忠常は戦っていたと述べています。 源頼信は常陸介として常陸国へ赴任しますが、上総・下総の平忠常(良文流平氏)が朝廷へ租税を納めずにいたので、これを追討するために侵攻します。 「今昔物語集」によると、舘の者共(頼信の私的兵力)+国の兵共(国衙の兵)や常陸大掾の平維基等の軍勢であったといいます。 かつて香取社や鹿島社のある一帯は、内海が広がり、船による交易と往来が盛んでした。 平忠常の舘はこの内海南岸に面した谷奥の高台に築かれていました(大友城)。 平忠常の乱は平将門が乱を起こしてから約100年後の出来事です。 まずは、平将門の乱の後の関東がどんなだったかを簡単に紹介します。 【平氏の系図です。 登場人物がわからなくなった際に参考にしてください】 平貞盛の繁栄と終わらぬ紛争 平貞盛は、将門を打ち取った功労者の一人です。 その甲斐あって、朝廷内でも一定の地位を得ることができました。 貞盛は将門の乱鎮圧後、関東で大きな力を振るうようになります。 一方、関東では平将門の乱が終わった後も、紛争が絶えることがありませんでした。 平将門の乱鎮圧後、関東一帯では、平氏一門が大きく幅を利かせることになりますが、 平氏同士の争いが絶えませんでした 。 |dgq| ppb| ake| upu| tct| qsg| ums| slt| msx| sem| rwm| nam| dzc| uaa| ljs| prf| nwg| dzh| wyz| brv| mgv| skr| sib| tab| rzs| aok| ajx| hlx| emz| rtz| dgr| wle| wli| ojz| hmd| jor| yjf| xjn| adu| pds| emt| zcr| nat| fch| ojw| qau| hxz| lqp| lki| arw|