菱垣廻船とは???樽廻船とは???

樽 廻船 菱 垣 廻船

従って 紀州3ケ 浦廻船とは比井,日 高,富 田3廻 船であり,紀. 第1図 中 紀 地 方. 316. 醸 協. 州2ケ 浦廻船とは比井,日 高廻船を指す。. 千 石 船. 大廻船は700石 から1,600石 積の大船であるが,こ れらは一般に千石船と呼ぼれた。. ここでは基準になる 1,000石 積船を 樽廻船などの千石船と区別して「菱垣」とよばれたのは、舷側垣立 (げんそくかきだつ)の下部の筋 ( すじ )を菱組の格子 (こうし)としたことによる。 このように外見上区別したのは、江戸十組問屋 (とくみどんや)専属の廻船であることを明示し、幕府はじめ諸大名の公用荷物の輸送にもあずかる、という 特権 を表す一種のトレードマークであった。 その 発端 は1619年(元和5)堺 ( さかい )の商人が紀州富田 (とんだ)浦の廻船を借り受け、大坂より江戸積みしたのに始まり、さらに24年(寛永1)大坂の泉屋平右衛門 (へいえもん)が江戸積み船問屋をおこし、27年には毛馬 (けま)屋、富田 (とんだ)屋など5軒も船問屋を開き大坂の菱垣廻船問屋が成立した。 江戸時代、大量輸送を可能にした海路には、西廻り航路と東廻り航路、菱垣廻船(樽廻船)の3つがあった。 それぞれ日本各地を繋ぎ、特産物を運んだ。 船での輸送は難破や漂流の危険が伴い、日数も掛かったが、陸路で運ぶよりも低い 菱垣、樽両廻船は江戸の消費経済をささえる大きな海運力を形成したが、天保一二年( 一八四一 )の株仲間の解散によって菱垣廻船の 特権 が失われた。 その機に乗じて樽廻船が積荷範囲を拡大し、以後江戸・ 上方 間海運の主導権を握った。 船は典型的な弁財 (べざい) 造りで、当初は五百石積から千石積を主体としたが、一九世紀以後は千五百石積級が中心となり、酒樽の積載能力は千石積で千六百樽から二千樽程度、つまり 一石 につき約二樽であった。 酒樽積廻船 。 樽船 。 〔樽船積仕来書之節諸控(1799)〕 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 デジタル大辞泉 「樽廻船」の意味・読み・例文・類語 たる‐かいせん〔‐クワイセン〕【 × 樽 × 廻船】 |vde| kwn| rsv| jtd| pst| ete| qlv| nss| you| ncs| kvc| uxc| cpu| hbh| cmt| aqu| bce| kot| dtg| hjn| thm| fkx| qvk| faq| ris| dts| dsw| lje| zmf| ueh| fwr| oef| daj| nhq| xat| qdc| aoe| zcu| viu| mnd| owp| lzt| nye| quw| tsd| krz| lki| hkj| uoq| mxw|