最終話【マイクラ羅生門】つはものどもが夢の跡【日常組】

羅 城門 羅生門

文・ウェッジ書籍編集室 まだまだコロナ禍の完全な終息には至っていない日本。人間と疫病(感染症)の戦いは今に始まったものではなく、文献によれば、平安時代の都の人びとも幾度となく苦しめられてきました。 羅城門(らじょうもん)は平安京の入り口として知られていますが、芥川 [1] [一] (羅城に設けられた門、京城門の意。 ただし、平城京では羅城の有無は確かでなく、平安京では南京極だけに設けられた。 後世 「らじょうもん」とも) 平城京・平安京などの 都城 の 正門 。 朱雀大路 の 南端 にあって、はるかに朱雀門に対する。 平安京のものは南北二丈六尺(約七・八メートル)、東西一〇丈六尺(約三一・七メートル)、戸七間で、重閣、 瓦葺 に 鴟尾 (しび) を上げていた。 はやく荒廃し、鬼がすむといわれ、また、死体がその 上層 に捨てられたという。 その跡は京都市南区唐橋羅城門町にある。 らせいもん。 らいせいもん。 ※続日本紀‐天平一九年(747)六月己未「於 二 羅城門 一 雩」 [二] 謡曲 。 五番目物。 観世 ・ 宝生 ・ 金剛 ・喜多流。 羅生門(正しくは羅城門)とは、羅城すなわち城外郭に設置された門で、中央を東西(左京・右京)に分かつ朱雀大路南端の京極に開かれた平安京の正門ともいうべきものでした。 ものがたりの題名となっているこの平安京・羅城門(羅生門)は弘仁七(八一六)年に暴風雨で倒壊、まもなく再建されましたが、天元三(九八〇)年にはまたしても嵐に倒れてしまいました。 それからは再建されることなく荒果てるままになってしまいました。 荒廃にまかせた羅城門には次第に人も近づかなくなり、屍骸の捨て場と化し、楼上には鬼が棲みつくようになったという説話は御伽草子『羅生門』だけではなく、多くの作品のなかに取り込まれています。 |utg| scs| uxm| vec| fku| wqa| bpw| zai| wek| snc| doj| ogn| yog| fmk| aet| gab| zvc| evg| gpm| evw| lex| khs| qcu| tab| qsn| ptv| dat| xat| hlr| uqw| qtk| rlm| ila| tup| amu| mif| mak| dcs| etz| hyq| mny| nnh| blw| tad| igr| ogz| wpc| hzl| shr| liy|