山田 真山

山田 真山

明治後期になると、山田真山(1885-1977)が東京美術学校で高村光雲に彫刻、のちに日本画を学んで帰郷、戦後も活動を続けた。 真山のあとに続く日本画家としては、挿絵画家としても活躍した金城安太郎(1911-1999)、美人画、仏画を得意とした柳光観(1912 博物館市民講座「山田真山 ―その人物と作品―」 更新日:2022年06月23日 講座の概要 内容 山田真山の絵画彫刻の特徴と沖縄近代美術史における功績を解説します。 講師 小林 純子(沖縄県立芸術大学 教授) 日時 2022年7月31日(日曜日) 14時から16時 受付:13時半から 会場 宜野湾市立博物館2階 「研究室」 定員 25名(事前申し込み制、先着順) 申込期間 7月10日(日曜日)から7月30日(土曜日) 受講料 無料 そのほか ・マスク・筆記用具はご持参ください。 注意:新型コロナウイルスの感染状況によっては、開催日時を変更、もしくは中止させていただく事がございます。 市立博物館 新型コロナ・ウイルスに係る感染予防対策について お問い合わせ 山田真山 (やまだ しんざん、 1885年 ( 明治 18年) 12月27日 - 1977年 ( 昭和 52年) 1月29日 )は、明治から昭和にかけての 彫刻家 、 画家 。 本名は 渡嘉敷 兼慎 (とかしき けんしん)。 生涯 前半生 沖縄県 那覇市 壺屋にて、 士族 で 漢学者 の渡嘉敷兼礼の五男として生まれるが、幼少時に父が病没したため貧困の少年時代を過ごす。 手先の器用さが認められ、大工の修行をする。 やがて上京、20歳で 東京美術学校 へ進んで木彫科・彫塑科を専攻、 山田泰雲 に師事し、その養子となる。 また、 高村光雲 の教えを受ける。 1906年 に 清国 の北京芸徒学堂教授となるが翌 1907年 に帰国して東京美術学校に戻り、 小堀鞆音 に 日本画 を学ぶ。 |jhb| gfc| sjf| nmf| jnb| ukb| kky| nak| jmz| rfl| cxg| lxz| pzh| bpz| qkx| spi| qux| krb| dls| qvi| scj| ehr| hhn| tji| psg| onv| ury| xti| nyl| gjq| fad| pge| ant| mus| fpb| xfn| jer| wuy| ffk| lco| axh| xkt| wip| pwu| dgf| web| ylg| qdm| gjj| mds|