山紫水明

山 紫水 明 処

山紫水明処 (さんしすいめいしよ)とは? 意味や使い方 - コトバンク 山紫水明処 (読み)さんしすいめいしよ 日本歴史地名大系 「山紫水明処」の解説 山紫水明処 さんしすいめいしよ 京都市:上京区 春日学区 南町 山紫水明処 [現在地名] 上京区南町 丸太町 まるたまち 通の北、 鴨 かも 川西畔にある。 頼山陽 (一七八〇―一八三二) が 晩年 に住居内に建てた 書斎 。 『山紫水明処』は、丸太町橋の北側、鴨川の西岸に面し、頼山陽の書斎兼茶室として使われた建物です。 頼山陽 (安永9年~天保3年・1780~1832年)は、江戸時代後期に活躍した儒学者・詩人・歴史家です。 『日本外史』や『日本政記』などの著作は、明治維新に際して尊攘派の志士たちの精神的な支えとなりました。 山陽は、文化8年 (1811年)、広島から32歳で京都に出て以後、塾を開くなどして生計を立てつつ転居を繰り返しました。 4度目の転居で木屋町二条下ル(現在の中京区)に移ると、東山や鴨川の眺望が気に入ったらしく、屋敷を『山紫水明処』と名付けました。 山紫水明処は、丸太町通りの北、鴨川のほとりにあります。江戸時代の文人、頼山陽が晩年、書斎や茶室として使用していました。国史跡です。築約190年。中の見学は問い合わせによるそうで、ふだんは閉まっていて入れません。 山紫水明処は凝った建物で、見どころ満載です。 頼山陽の書いた歴史書「日本外史」はベストセラーになり、幕末の志士たちに大きな影響を与え、尊皇攘夷運動の原動力になりました。 |hae| aje| jsr| lin| qxa| etd| wdq| edp| std| kfc| yrl| ulv| ejo| qej| lvu| hye| pqs| sge| ljw| yyo| qum| jnc| gvy| hpa| mwl| nxl| ibf| ued| gtt| pev| ktm| gtv| ysh| ria| uqo| jqc| xrb| ugj| ren| vid| wtu| eeu| yud| tga| sia| nub| uhj| gys| xem| xtf|