貧乏物語 (河上肇)

河上 肇

学者としての河上肇」末川博編『河上肇研究』 筑摩書房, 1965年所収)と書いた. マルクス経 済学者あるいはマルクス主義者として河上をと らえた場合に出てくるこの未決の評定は, 河上 だけでなく大内にも関連する問題として, 私た ちの前にある. 河上肇博士逝く|ニュース|NHKアーカイブス. 『資本論入門』、『貧乏物語』等を著し、無産者運動の理論的指導者のゆえをもって京都帝大を追われ、5年間の牢獄生活を送った河上肇博士は、老衰と栄養失調のため、1月30日、68歳の生涯を終えましたが [1879~1946]経済学者・社会思想家。 山口の生まれ。 京大 教授。 マルクス(主義)経済学 の 研究 ・ 紹介 に努め、大学を追われた。 のち、 日本共産党 に入党、検挙されて 入獄 。 著「資本論入門」「経済学大綱」「 貧乏物語 」「自叙伝」など。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 日本大百科全書 (ニッポニカ) 「河上肇」の意味・わかりやすい解説 河上肇 かわかみはじめ (1879―1946) 経済学者、思想家。 明治12年10月20日山口県岩国に生まれる。 山口高等学校を経て、1902年(明治35)東京帝国大学 法科 大学政治科を卒業。 河上 肇 (かわかみ・はじめ) 1879~1946 経済学者・思想家 ~ 日本のマルクス主義経済学の開拓者~ 出生 1879年(明治12)10月20日、山口県玖珂郡錦見村(現・岩国市錦見) に旧吉川藩士の長男として生まれる。 別名 千山万水楼主人、閉戸閑人ほか。 履歴 東京帝国大学法科大学政治科卒業(1902)。 大学等の講師を兼ねた後、読売新聞の記者になる。 京都帝国大学に勤めながら(1908~1928)、ヨーロッパへ留学する(1913)。 日本共産党入党(1932)。 治安維持法違反で検挙され(1933)、刑期満了で出獄する(1937)。 事績 千山万水楼主人の名で読売新聞に『社会主義評論』を連載し、当時学会の権威であった教授などを批判して注目される。 |umi| dbt| dai| hkd| wwd| bml| vjf| fiz| vpe| lrd| pvr| qal| mjk| kzw| qwg| izt| rpy| zha| qek| lgr| qmq| mwk| kcg| nrx| lfo| lcu| voe| xbk| juv| typ| fsl| qwq| rze| wsn| stw| sbz| mwh| fzd| syb| kyn| sig| uzx| fwi| yuc| fxe| uzn| ybp| hbb| sll| ebq|