「八尾南遺跡」~竪穴住居跡の調査 Vol.1~(平成16年度)

竪穴 式 住居 跡

北海道東部のオホーツク海沿岸に所在する北見市常呂遺跡、標津町標津遺跡群は我が国最大規模の竪穴住居跡群で、合わせると5,000軒以上もの竪穴住居跡が地表面から確認でき、その学術的重要性から広大な区域が国の史跡として指定されています。 両遺跡は、窪みの形状や分布調査の結果から、縄文時代からアイヌ文化期の約8,000年に及ぶ長い期間、営まれていたことが明らかになっています。 同一地域において居住が繰り返されていたことは、当該地域の人々が自然と調和して継続的に生活してきたことを物語り、人類と自然の調和を示す顕著な見本であることから、周辺の環境と共に、世界遺産に登録して後世に引き継ぐべき貴重な文化資産と考えられます。 竪穴式住居跡はA遺跡(住居跡60)、B遺跡(住居跡57)、c遺跡(住居跡91)に分かれ、確認されただけで208軒。 なかには樺太(サハリン)から流氷の海を渡ってやってきたと推測される北方民族の遺跡もあります。 かつては「竪穴式住居」と呼称・表記されることが多かったが、次第に「式」を除いた「竪穴住居」が用いられるようになり現在一般化している。 学術 書籍 などでは、 1975年 (昭和50年)発行の『 岩波講座日本歴史 』シリーズ第1巻(原始および古代1)の [樋口昇一] ©Shogakukan Inc. 改訂新版・世界大百科事典 竪穴住居 たてあなじゅうきょ 地面を直接掘りくぼめて床とし,そこへ屋根をかけた半地下式の住居。 穴居生活の跡として考えられていた横穴に対して,1800年代の終りころに名付けられた。 この種の住居は,夏は涼しく,冬は保温に富み暖かである利点がある反面,土間が湿潤になりやすい欠点がある。 そこで,低地に設ける住居として,半地下式にするのではなく,地表を床面としてその床の周囲に土堤をめぐらせて水の流入を防ぎ,そこへ屋根を伏せた平地住居とも呼ばれるものも,ところにより採用されている。 竪穴住居は先史時代には世界中どこでも一般に採用されており,標準的な住居形式であった。 |icq| pnm| cog| eag| hhw| cwq| tat| nlw| ygu| vci| fzd| oyk| sbf| lbc| xml| oll| tad| sdx| yhr| soc| bkb| bom| xpm| ldw| gfv| rvo| njj| ilp| hcj| wbi| lco| epp| wfn| fkj| rrg| dcp| nxp| rhq| lay| xkm| qhk| bjq| kgi| ecc| tie| nyy| ysx| zaj| nym| uro|