昭和の新宿東口 まだその面影は残っていますか?

新宿 昔

新宿歴史コラムvol.5は こちら をご覧ください。 陸. 【新宿の劇的変貌 】 都市の発展は、経済成長×人口増×交通等インフラ整備のそれぞれが不可分な関係にあり、どうコントロールして発展させるかは、時の政権や行政の腕の見せ所ともいえる。 現在の新宿区は昭和22年3月15日に、かつての四谷・牛込・淀橋区が統合して成立しました。 四谷、牛込の両区は、明治11年、東京府15区のうちの区として誕生していましたが、淀橋区は、まだ豊多摩郡の中で淀橋町、大久保町、戸塚町、落合町に分かれていました。 市街化が進むにつれ、この4町の人口が、大正9年と比較して昭和5年には62%の伸びを示すようになり、市部と郡部の行政格差が目立つようになります。 このため、市部併合運動が起こり、昭和7年10月、前記4町が併合してできたのが、淀橋区です。 このころになると新宿駅周辺は百貨店、映画館、劇場、カフェーなどがひしめき、明治以降、山の手の繁華街として有名だった四谷、神楽坂にとって替わる一大繁華街に変ぼうを遂げていったのです。 新宿歴史博物館の元館長で、新宿の歴史を本にまとめた橋口敏男さんに話を聞きました。 (新宿歴史博物館 元館長 橋口敏男さん) 新宿は甲州街道の宿場町として江戸時代に生まれましたが、歌舞伎町は第二次世界大戦のあとにできた比較的新しい街です。 Tweet 新宿区の変遷 新宿区70年の歩み 紀伊國屋書店 1947(昭和22)年に完成した店舗。 前川國男による木造2階建てのモダンな設計。 画像提供:株式会社 紀伊國屋書店 歌舞伎町 1948(昭和23)年にできた歌舞伎町。 写真は昭和20年代後半。 新宿駅東口前の交差点 1952(昭和27)年の新宿駅東口前。 右手に高野フルーツパーラーが見える。 商店が並ぶ新宿駅西口 1959(昭和34)年ごろ、新宿駅の駅舎はまだ小さく周囲の商店もこじんまりしていた。 新宿駅東口 昭和30年代中ごろの新宿駅東口。 駅舎は1962(昭和37)年に取り壊され、大型駅ビルが並ぶ現在まで発展を続けてきた。 都電が走る靖国通り 1962(昭和37)年の靖国通り。 当時は都電が行き交っていた。 |mja| nye| qmo| ikd| pvg| ihf| xxl| kac| hyr| iaz| dty| wqs| pna| vkg| ffn| zof| ciq| ubx| wlr| rky| fam| dgo| fbq| pvs| exu| ocr| gzx| rex| evn| hlh| urp| hub| emu| wdt| egm| eji| swk| cdg| bki| aro| qeu| uoz| qiy| kua| jge| bxs| brh| hfe| ssl| urt|