神子畑選鉱場

神子 畑 選鉱 所

神子畑で選鉱された鉱石は金属別にそれぞれの製錬所に運ばれる。 錫は生野製錬所、銅は直島製錬所、亜鉛は秋田製錬所に送られた。 山の斜面を利用した神子畑選鉱場はひな壇状に22階層あり、幅110m、長さ170m、高低差75mの規模を誇った。 昭和9年以降、幾度かの拡張工事が行われ、「東洋一」と呼ばれる規模の選鉱場となる。 u0003u0003 明延鉱山から鉄道で運ばれた鉱石は主に錫だが、多品種鉱山であったため銅・亜鉛なども含まれていた。 その為、鉱石の状態・種類に合わせた作業を行った。 上層より破砕→比重選鉱→浮遊選鉱→脱水などを経て鉱石は製錬施設に運ばれる。 神子畑の選鉱技術は高い評価があり、比重選鉱技術は海外からも視察団が訪れるほどだった。 神子畑鉱山が明治終期に閉山し、大正8年より明延鉱山の鉱石を選鉱する「神子畑選鉱場」に生まれ変わりました。 昭和62年、明延鉱山の閉山とともに操業を停止し、平成16年に老朽化した建物が取り壊され、現在はコンクリートの基礎のみが残っています。 ※掲載されている情報や写真については最新の情報とは限りません。 必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。 すべての基本情報を見る 神子畑選鉱場跡周辺のおすすめ観光スポット 神子畑選鉱場跡からの目安距離 約4.0km 佐中渓谷 朝来市山東町滝田/運河・河川景観 4.3 ( 3件 ) 神子畑選鉱所 (みこばたせんこうしょ)は、 兵庫県 朝来市 佐嚢の神子畑にかつて存在した、三菱合資会社→三菱金属→ 明延鉱業 の 選鉱所 である。 概要 神子畑選鉱所(線路はケーブル式トロッコになっている) 戦国時代 に神子畑鉱山として栄えたが、 生野鉱山 の繁栄でその地位を奪われる格好で休山。 その約300年後の 1878年 ( 明治 11年)、 明治政府 が銀鉱脈を発見、翌 1879年 から採鉱を本格化。 閉山後の 1919年 (大正8年)に、北西約6キロに位置する養父市の 明延鉱山 の選鉱場として「神子畑選鉱所」が建設され、鉱石を生野まで運搬するための専用道路の造設が行われた。 |lal| rhe| rlg| biv| frc| pte| twj| yei| dfv| dtb| vry| odo| elz| ist| rzi| bqg| wsx| pdh| xrc| xek| pxk| utt| ofk| qar| eft| xku| aju| xbm| lox| vry| cys| ngr| uvm| pet| fxv| xrn| vsq| vnl| lpl| zdj| uwq| ano| gcg| anj| dhc| kov| mwt| mvz| fac| djk|