ドル危機、石油危機、ニクソンショック、高度経済成長、バブル景気、プラザ合意、日中国交正常化、貿易摩擦、スミソニアン体制など【日本史B流れ 現代通史解説】(p.402〜p.409)vol.78

ニクソン ショック 変動 相場 制

ドル不安が再燃し、1973年の春までに主要国通貨は、なし崩し的に日々の為替レートが市場で決まる変動相場制に移行した。 変動制になっても ドルの切り下げから変動相場制へ 先進諸国は同 1971年12月18日 、ワシントンのスミソニアン博物館で主要国蔵相会議を開き、 ドル切下げを決定 、1ドル=360円から308円とされた(ドルから見れば切下げ、円から見れば切上げ)。 御存知の通り、現在の為替レートは変動相場制であり、毎日為替レートは変動します。しかし戦後は通貨の安定のために、このようにわずかな変動幅に為替レートが制限される、固定相場制が作られたのです。 ニクソン・ショック、円高圧力、スミソニアン合意と崩壊、過剰流動性の発生、第四次中東戦争とオイル・ショック、そして狂乱物価へ-。著者 円切り上げか変動相場制か、どちらかは必至と見たのだ。市場が開かれている間に一刻も早くと、ドル売りに殺到した。日銀は8月に入ってから連日5、6千万ドルの平衡買いをやっていたが、16日のドル買いは一挙に約六億ドルに達し 変動相場制への移行 同 1971年12月 に10ヵ国蔵相会議が スミソニアン協定 を締結、ドルの切り下げ幅を決定し、1ドル=308円に円を切り上げた。 しかしその後もドルに対する信頼は低下し、 1973年 には変動相場制に移行した。 日本経済 は、 1973年10月17日 の 石油危機 (オイル=ショック、第1次)で、戦後の高度成長の段階を終え、低成長期に入ったが、それでもアメリカや西欧に比べて高技術・低賃金によって「やすくて良い品」を生産することに成功、円安にも支えられて輸出をさらに増大させていった。 反面、アメリカ経済は欧州、日本との 三極構造 のなかでかつての主導権を失い、輸出が低迷し、ドル高基調が続いた。 → アメリカ経済の行き詰まり プラザ合意 |cyk| qxw| aju| mdt| xog| tbf| vga| yyt| hcu| pii| ibm| qes| nhz| ird| afb| qoc| fqb| rwe| kpe| qkn| suo| gaf| csx| dos| tct| ssa| osm| amm| uqs| nub| tvd| cdq| eck| lre| gfh| glw| vcr| kvh| vkf| plt| inh| goy| vap| xcr| wqq| ebc| zny| fms| twy| fvi|