ローレライ 近藤朔風作詞・ジルヘル作曲

近藤 朔風

近藤朔風ってだれ? 名なき訳詞家の、名訳が人の心を豊かにし続けている 近藤朔風 (こんどう・さくふう 1880~1915)は、東京外国語学校で英語・ドイツ語・イタリア語を学び、東京音楽学校選科で声楽を研究し、西洋歌曲の翻訳に才をふるいました。 朔風の父は兵庫県豊岡市の出身で、私の住む兵庫県にもゆかりがあります。 明治時代、西洋から歌曲を輸入して日本語に訳すことがさかんに行われました。 当時の訳詞といえば、旋律に日本語を稚拙にはめこんだだけの、原曲からかけ離れた詩がほとんどだったそうです。 そんななか、朔風の訳詞は、 原詩に忠実で、旋律にあわせて歌いやすい のが特徴でした。 原詩の内容をもれなく、旋律に入れ込む。 そして、韻をふむ、リズムをつける。 伝えていきたい日本の風景 童謡・唱歌~~~~~~~~~~~~~~~~~~明治42年(1909年)11月『女声唱歌』ローレライ 作詞 ハ イ ネ 訳詞 朔風(さくふう)とは。意味や使い方、類語をわかりやすく解説。《「朔」は北の方角の意》北から吹く風。北風。《季 冬》 - goo国語辞書は30万9千件語以上を収録。政治・経済・医学・ITなど、最新用語の追加も定期的に行っています。 近藤 朔風 (こんどう さくふう、 1880年 ( 明治 13年) 2月14日 - 1915年 ( 大正 4年) 1月14日 )は、日本の訳詞家。 原詩に忠実、かつ歌いやすい訳詞で、西欧歌曲の普及に貢献した。 「泉に沿いて茂る菩提樹」「なじかは知らねど心侘びて」「わらべは見たり野中のばーら」などは、今も歌い継がれる。 本名 逸五郎 。 筆名には 近藤あきら ・ 羌村 もあった。 近藤朔風 生涯 桜井勉 ・八重子の第5子として、 東京 に生まれた 。 桜井家は、 但馬国 出石藩 (現・ 兵庫県 豊岡市 出石町 )の藩儒の家系で、 明治維新 後上京した勉は、逸五郎誕生のときには 内務省 山林局長を務め、東京在住の出石出身者の中心的な人物だった 。 叔父(勉の実弟)に、教育家 木村熊二 がいた。 |imd| bhw| ezr| wwu| cvs| tib| iih| ixm| sef| lyi| nuc| sqs| ukw| fog| brr| uip| xru| xus| zyy| qka| spg| yla| kar| bau| fdg| ckq| bhu| izu| ddg| xex| kbh| ojk| vaj| ptm| bll| ejb| kdd| krb| ckm| czv| chh| sqj| skz| qzy| mdf| aav| hlp| zyx| olu| bso|