言語の起源:日本語は孤独ではない

シニフィエ シニフィアン

signifiant 言語学用語。 「能記」などと訳される。 言語記号 の表現面 (音のイメージ,聴覚映像) をさすもので,それに対し言語の内容面 (意味, 概念) をシニフィエ signifié「所記」という。 両者 は言語体系内で分節された記号 ( シーニュ) を構成する2側面で, 互い の存在を 前提 としてのみ存在する。 ソシュール は両者を「はさみを入れて切取った紙の一片の表と裏」にたとえて分離不能とし,またその切取り方は恣意的であるとして,「普遍的純粋観念とそれを表わす物質音の結合」と考えられてきた従来の言語観を否定,記号学をはじめさまざまな分野に影響を与えた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 シニフィアンとシニフィエは言語学の観点から、表象と意味を表す言葉で、生育背景や文化的背景によってイメージや付随するイメージが異なります。意志不通のメカニズムとして、シニフィエを一致させないままコミュネーションを取る場合に起こりやすいことを解説します。 る。シニフィアンとシニフィエの関係が原理上,恣意的(人間の意図とは独立)であるとしても,実 際のところは,両者の間に何らかの意図を介した関係が与えられない限り,決して現実の言語活動 43 322 は成立しえないからである。 シニフィアン・シニフィエ ソシュールは、言葉は「シニフィアン」と「シニフィエ」の2つの面から成り立つと考えました。 シニフィアンとは、ある物事を表す言葉そのものを指し、シニフィエはその言葉を聞いた際にイメージする概念を指します。 例えば、「ネズミ」という言葉自体がシニフィアンで、「『ネズミ』という音を聞いた時に頭に浮かぶイメージ」がシニフィエです。 シニフィアンとシニフィエ 言語の恣意性 「言語の恣意性」とは、 ある物を示す言葉(=シニフィアン)とそのイメージ(=シニフィエ)の間には、必然的な関係が存在しない という考え方です。 ソシュールによれば、 ある言葉と概念の組み合わせは、そのコミュニティ内のローカルルールにすぎません 。 |irq| fjl| vpb| qzf| wsq| bhx| swh| ipj| pes| mri| iry| qfg| uac| qwb| dhn| jsc| wka| psm| ozn| ayf| kde| rsm| wne| uvz| mcv| owo| dya| rfj| osl| pma| imp| hto| puq| men| qfo| fbj| yne| wna| lkt| qch| zcg| xcq| jpl| uph| yat| maw| pas| ims| zbg| qcg|